『ドラッカー365の金言』 P.F.ドラッカー ダイヤモンド社

未来学者は、自ら予測したことがどれほど実現したかで的中率を測る。予測しなかったもののうち、重要なものがどれほど現実となったかは数えない。予測したものすべてが実現することもある。だが、彼らは最も重要なことを予測せず、困ったことにはそれらに関心を示すことさえない。
この予測の空しさは避けられない。重大な変化は、価値観の変化、認識の変化、目的の変化など、予測不能なものの変化によってもたらされるからである。事業を行うものにとって重要なことは、「すでに起こった未来」を確認することである。社会、経済、政治において重要なことは「すでに起こった未来」を機会として利用することである。それらの変化を認識し、分析する方法を開発することである。(1月2日)1-9.1214.15.18.19.20.21.22

1881年アメリカ人フレデリック・ウィンスロー・テイラーが肉体労働者の仕事の研究、分析、組み立てに知識を適用した。そこから生産性革命が起こった。生産性革命は成果をあげた。その結果、今日では日肉体労働者の生産性が問題となった。知識に知識を適用することが必要となった。
そして今日、いかなる知識が必要か、その知識は可能か、知識を意味あるものにするには何が必要かを明らかにするために、知識は意識的かつ体系的に適用されるようになった。すなわち、知識は体系的なイノベーションに使われるようになった。この知識の知識への適用の段階がマネジメント革命である。つまるところ、成果を生むために既存の知識をいかに適用するかを知るための知識がマネジメントである。(2月3日)2−4.7.9.15.17.19.27.29

変化はコントロールできない。できるのは、変化の先頭に立つことだけである。今日のような乱気流の時代にあっては、変化が常態である。変化はリスクに満ち、楽ではない。悪戦苦闘を強いられる。だが、変あの先頭に立たない限り、生き残ることはできない。急激な構造変化の時代を生き残れるのは、チェンジリーダーとなるものだけである。
チェンジ・リーダーとなるためには、変化を脅威ではなくチャンスとして捉えなければならない。変化を探し、本物の変化を見分け、それらを意味あるものとして利用しなければならない。自ら未来を作ることにはリスクが伴う。しかし、自ら未来を作ろうとしないことのほうがリスクは大きい。成功するとは限らない。だが、自ら未来を作ろうとせずに成功することはない。(3月1日)3-2.4.30

組織のリーダーを選ぶには何を見なければならないか。
第一に、何をしてきたか、何が強みかを見る。成果を挙げるのは強みによってである。したがって、その強みを生かして何をしてきたかを見る。
第二に、組織が置かれている状況を見て、行うべき重要なことは何かを考える。そして、そのニーズに強みを組み合わせる。
第三に、真摯さを見る。リーダー、特に強力なリーダーとは模範となるべきものである。組織内の人たち、特に若い人たちが真似をする。
ずっと前のことだが、私は、世界的な規模の大組織のトップを勤めるある賢人から大事なことを教わった。かれは70代後半だったが、人事の適切さで有名だった。何を見るのかを聞いたところ、「重要なことは、わが子をその人の下で働かせたいと思うかである。その人が成功すれば、若い人が見習う。だから、私はわが子がその人のようになってほしいかを考える」と答えが。これが人事についての究極の判断基準である。(4月5日)4−17.21.22.24.25.

今日の多元社会における組織は、統治や支配には関心がない。かつてのものと異なり、完結した存在ではない。成果はすべて外部にある。企業が生み出すものは、満足した顧客である。病院が生み出すものは、治癒した患者である。学校が生み出すものは、学習したことを10年後に使う卒業生である。
今日の多元社会は、かつての多元社会よりはるかに柔軟である。社会を分裂の方向へ向けさせることはない。中世の教会や領主や自由年など、かつての多元的組織のように政治権力を奪い合うことはしない。しかし、世界観と関心を分かち合うこともない。今日の組織は自らの目的を中心におき、絶対視し、意味あるものとするそれぞれが独自の言葉で話し、独自の知識、独自の秩序、独自の価値観を持つ。鹿亜もそれらの組織のうち、社会全体に対して責任を負うものは1つとしてない。sy貸しの問題は誰かの仕事と見る。しかし、それは誰の仕事なのか。(5月5日)5-7.19.26.29.30

情報型組織に必要な条件は何か。オーケストラにおいて、一人の指揮者の下で100人の音楽化が演奏できるのは、全員が楽譜を持っているからである。病院では、あらゆる専門化が患者の治療という共通の任務についている。カルテが楽譜の役を果たし、レントゲン技師、栄養士、理学療法士、その他全員にとるべき行動を教える。換言するならば、情報型組織には、具体的な行動に翻訳できる明確で単純な共通の目標が必要である。
情報型組織の主役は専門家であって、仕事の仕方に口出しをすることはできない。識者の中にはフレンチ・ホルンの奏者に手本を占めるどころか、音さえ出せるものがいない。しかし指揮者は、オーケストラ全体の演奏において、フレンチ・ホルンの技術と知識をいかに生かすかを知っている。これこそ情報型組織のリーダーが見習うべきモデルである。したがって、情報型組織は、期待する成果を明確に表gんした目標を中心に組織しなければならない。さらには、期待と成果についてのフィードバックを中心に組織しなければならない。(6月3日)6-7.13.30

事業の定義は3つの部分からなる。第一に、組織をとりまく経営環境である。社会、顧客、技術である。第二に、組織の使命である。これが組織にとっての成果を明らかにする。経済や社会に対し、何を貢献するつもりかを明らかにする。段さんに、組織の使命を達成するうえで、必要な中核的能力である。これは組織がリーダーシップを維持していくためには、いかなる分野でぬきんでなければならないかを明らかにする。
メディチ家イングランド銀行創立者からIBMのトマス・ワトソンにいたるまで、偉大な事業の建設者はみな、鋭角名事業の定義を持っていた。直感に頼ることなく、明確でシンプルな事業の定義を藻琴が、成功する事業の特徴である。(7月1日)7-5.18

自らの製品、サービス、プロセスを自ら陳腐化させることが、誰かに陳腐化させられることを防ぐ唯一の方法である。昔からこのことを理解し受け入れてきた企業がデュポンだった。同社は1938年いナイロンを世に出したとき、直ちに、これと競争できる新しい合成繊維の研究に取り掛かった。同時に、価格を下げ、同社の特許を迂回することの魅力を小さくした。
これこそ、なぜデュポンが今なお世界一の合成繊維メーカーの地位を占めているか、また、なぜ同社のナイロンが依然として売れ続け、かつ利益を上げているかの理由である。(8月5日)8-6.10.19.30

3人の石切工の話がある。何をしているかを聞かれて、それぞれが「暮らしを立てている」「石切の仕事をしている」「教会を立てている」と答えた。第3の男こそ、真のマネージャーである。第一の男は、仕事で何を得ようとしているかを知っており、事実それを得ている。一日の報酬に対し一日の仕事をする。だが、マネージャーではない。将来もマネージャーにはならない。問題は第2の男である。熟練した専門能力は不可欠である。確かに組織は、最高の技能を要求しなければ二流の存在になる。しかしスペシャリストは、単に石を磨き脚柱を集めているに過ぎなくとも、重大なことをしていると錯覚しがちである。専門能力の重要性は強調しなければならない。だが、それは全体のニーズとの関連においてでなければならない。(9月29日)

権力の正当性は、人の本質と目的についての理念によって規定される。正当な権力とは、社会のエトスによって正当化される支配権である。もちろんいかなる社会にも、その社会の理念とはかかわりのない権力が多数存在する。人間存在の目的にかかわりのない組織も多数存在する。自由社会には無数の自由ならざる組織が存在し、平等社会にも無数の不平等が存在し、聖人社会にも無数の罪人が存在する。
しかし、ある社会が自由社会、平等社会、あるいは聖人社会として機能することができるのは、われわれが支配権と呼ぶ決定的な社会権力が、自由平等、あるいは聖性を標榜し、処暑の制度がそれらの実現のために機能している間のみである。ここにおいて、制度的構造が正当な権力の構成要件のひとつとなる。(10月16日)10-20.23

ほとんどの組織が1つの予算しか持たない。こう教示は一律に増やし、不況時は一律に減らしている。だが、それでは未来を手にすることはできない。チェンジ・リーダーたるには2つの予算が必要である。そのひとつが現在の事業のための予算である。この予算は、事業を継続する上で必要な最小限の規模を考える。しかも不況時には規模を縮小する。
しかしチェンジ・リーダーたるには、未来のための予算を持たなければならない。この予算は、新事業が最大の成果を上げる上で必要な規模がどれだけかを考える。この未来のための予算は、組織の存亡にかかわる非常時を除き、好不況にかかわらず一定に保たれる。(11月5日)11-19.20.26.29

経済的な能力をわきまえずに、負担しきれない社会的責任を果たそうとするならば、直ちに問題が発生する。
ユニオン・カーバイトが、失業を緩和する目的でヴァージニア州ヴィエナに工場を建てたことは、sy快適に責任ある行動ではなかった。結果として無責任だった。最初から終始ぎりぎりで、工程が旧式だった。工場は息をするのがやっとだった。このことは、ユニオン・カーバイトが、自ら引き起こす問題を処理できないことを意味していた。事実、同社は環境対策の要求に抵抗せざるを得なくなった。
環境対策の要求は、失業への関心が環境への関心をはるかに上回っていた1940年代末にはなかった。しかし、やがてそのような要求が出ることは予期しておかなければならないことだった。そもそも社会的責任のためとして不経済なことをするのは、責任ある行動ではなかった。たんに情緒的な行動だった。損害をこうむるだけのことだった。(12月12日)12-20.24.25.30

『ネクスト・ソサエティ』 P.F.ドラッカー ダイヤモンド社 ?

したがって、彼ら知識労働者は自らを彼らのサービスを利用する組織と同格の存在と自認する。知識社会とは非階層の社会であって、上司と部下の社会ではない。(P22)

知識に上下はない。あるのは状況への関連の有無しかない。知識労働者にとっても他のあらゆる人間と同様金は重要である。しかし、彼らは金を絶対的な価値とはしない。自らの正解は自己実現の代替とは認めない。仕事が生計の資だった肉体労働者と違い、知識労働者にとって仕事は生きがいである。(P26)

知識社会特有の上方への移動は高い代償を伴う。それは競争にともなう心理的な圧力と精神的なストレスである。敗者がいるからこそ勝者がいる。昔の社会はそうではなかった。(中略)したがって知識労働者たるものは、若いうちに非競争的な生活とコミュニティを作り上げておかねばならない。コミュニティでのボランティア活動、地元のオーケストラへの参加、小さな町での公職など、仕事以外の関心ごとを育てておく必要がある。(P29)

ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる

ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる

『ネクスト・ソサエティ』 P.F.ドラッカー ダイヤモンド社

産業革命は家族にも大きなインパクトを与えた。それまでは家族が生産単位だった。農家の畑や職人の作業場では、夫、妻、子供が一緒に働いていた。ところが人類史上初めて、工場は働く者と仕事を家から引き離し、職場へ移した。家には工場労働者の配偶者が残された。産業革命初期の子尾rには年少者が親から引き離された。
実のところ、家族の崩壊は第二次大戦後に現れた問題ではなかった。それは産業革命によって生まれ、産業革命に反対する人たちの懸念どおりに振興した。労働と家族の分離、及びその影響の大きさは、チャールズ・ディケンズの小説『ハード・タイムズ』に見ることができる。(P74-75)

IT革命とは、実際には知識革命である。諸所のプロセスのルーティン化を可能にしたのも機械ではなかった。コンピュータは道具であり、口火であるに過ぎなかった。ソフトとは仕事の再編である。知識の適用、特に体系的分析による仕事の再編である。鍵はエレクトロニクスではない。認識科学である。(P88)

教育の最大の障害は、職を奪われることを恐れる教師である。もうひとつの障害は、途上国では教育が求められているとはかぎらないことだ。(P96)

抗生物質の発明などの医療の進歩は平均寿命にほとんど寄与していないという事実である。ごくわずかの人たちにとっては福音だった。統計的にはほとんど意味が無い。平均寿命に寄与したのは労働環境の改善のほうである。私が生まれたころは労働人口の95%が肉体労働に従事していた。そのほとんどが危険な仕事だったり、体力を消耗する仕事だった。(P98)

今日の若者文化が続かないことは明らかである。昔から、文化というものは人口の伸びの最も大きな年代によって規定されてきた。今日、人口の伸びの最も大きな世代は若年者ではない。(P99)

これからは知識を基盤とする流通企業へと変身しなければならない。大転換である。第一次大戦後の農業に匹敵する。これまで製造業生産は急速に伸びてきた。しかし、GNPに占める地位は急速に低下した。雇用も急速に減少した。製造業は国民経済に大きな付加価値をもたらさなくなった。その役割を知識産業と流通産業が担うようになった。(P100)

世界中で、製造業のブルーカラーが所得よりも大事なものを失いつつある。社会的な地位である。そこであたかも雇用の輸出であるかに見えるグローバル化に反対する。だが、そうではない。輸出される雇用などわずかである。高が知れている。問題の根本は、国内で雇用が一変しつつあることにある。グローバル化への抵抗は続く。彼らは昨日の問題にとらわれている。しかし、それは今日の痛みゆえの抵抗である。(P103)

コンピュータを使うことは最低限の能力に過ぎない。10年あるいは、15年後にはコンピュータではなく情報を使うことが当たり前になっていなければならない。今日のところ、そこまで行っているものはごくわずかである。(P106)

世界市場を相手に事業をしているという人の会社の株は手放したほうが良い。しらないことについて事業はできない。われわれは世界中のことを全て知ることはできない。知りうることのみを知るのみである。いかなる事業であっても焦点を絞らなければならない。多角化が成功するのも情報があるときだけである。日本の大阪に突然、競争相手が現れたというのでは、情報を持っていたことにはならない。われわれは自らの組織の外の世界、市場、顧客についてあまりに知らなさ過ぎる。特に流通チャンネルほど早く変化するものは無い。報告があがってきたころには手遅れである。(P111)

ギリシャの歴史家ツキディデスは、覇権は自滅するといった。覇権を持つものは傲慢になる。自己満足に陥る。しかも他の勢力を結集させる。必ず拮抗力が生まれる。自滅せざるをえない。防衛的になる。尊大になる。過去を守るだけになる。そして自滅する。歴史に長命の独占は無い。(P132)

第4に、CEOが真剣に取り組まなければならない課題が、知識労働の生産性の向上である。肉体労働では以下に仕事をするかだけが問題だった。何をするかは自明だった。ところが知識労働では、何をするか、何をしていなければならないかが問題である。競争力を保つためには、これを考えることが最も重要である。(P146)

最近の例としては、病院経営用のソフトを開発したベンチャーがあった。しかし病院ではそれを使える体制になっていなかった。ひとつも売れなかった。ところが、たまたまそのソフトを知ったある小さな市役所が、ちょうど探していたものであることに気づいた。それを耳にしたほかの市からも注文が来た。だが、そのベンチャーは、それらの注文に合わせてソフトに手を加えることを拒否したという。(P154)

実は、書類仕事を減らすことのメリットは、人間関係に使う時間を増やすことにある。企業の幹部たるものは、大学の学部長やオーケストラの指揮者ならば当然のこととしていることを知らなければならない。優れた組織を作り上げる鍵は、働き手の潜在能力を見つけ、それを伸ばすことに時間を使うことである。(P182)

もうひとつ、セントルイスルーテル教会NPOがあった。彼らはホームレス家族の4割はわずかの支援で社会復帰できそうだと判断した。そこで必要としているものを探ることからはじめた。答えは自立だった。そこで、そのNPOは壊れた家を買い取った。手を入れて中流並みの家に仕上げて住まわせた。それだけで生き方が変わったという。仕事も見つけてやった。ホームレス家族の8割が自立した。(P211)

いま、言ったこと全てにかかわらず、日本を軽く見ることはできない。一夜にして180度転換するという信じられない能力を持っている。ただし助け合いの伝統のあまりない日本では、痛みは耐えがたいものとなろう。(P218)

かつて戦争における戦略上の目標は、クラウゼビッツが言ったように、敵の戦闘能力の破壊、敵国の軍事力の破壊にあった。敵国の民間人やその財産は目標とされなかった。ところが、20世紀の最初の戦争、すなわちボーア戦争において、このルールが変えられた。戦略上の目標が、敵の潜在的戦闘能力の破壊、すなわち敵の経済の破壊と定義されなおした。近代西洋の歴史上始めて、敵国の民間人が対象とされた。ボーア軍のっ先頭意欲をそぐために、イギリス軍は史上初めて強制収容所を作り、ボーア人の婦女子を押し込めた。(p245)

今日、国際赤十字が傷病者と戦争捕虜の処遇にかんして行ったことを、民間人とその財産に関しても行わなければならない。ここにおいても、国際赤十字と同じように、国民国家の主権を相当程度制限することのできるグローバル機関が必要とされている。(p248)

これまで、田舎社会はいたずらに美化されてきた。欧米では牧歌的に描かれてきた。だが田舎社会のコミュニティは強制的かつ束縛的だった。(p268) かつてのコミュニティは束縛的だっただけでなく、侵害的だった。(p269)

都市社会には光り輝く高度の文化があった。しかし、それは臭気を覆う薄膜に過ぎなかった。1880年ころには、まともな女性は昼でさえ一人歩きができなかった。男性でさえ、夜歩いては帰れなかった。(p270)

都市社会は田舎社会の強制と束縛から人を解放した。そこに魅力があった。しかしそれは、それ自体のコミュニティを持ち得なかったために破滅的だった。人はコミュニティを必要とする。建設的な目的をもつコミュニティが存在しないとき、破滅的で残酷なコミュニティが生まれる。ビクトリア朝イングランドの都市がそうだった。今日のアメリカ、そして世界中の大都市がそうである。そこでは無法が幅をきかす。(p271)

知識社会においては、企業は生計の資を得る場所ではあっても、生活と人生を築く場所ではありえないからである。それは、人に対して物質的な成功と仕事上の実現を与えるし、またそうでなければならない。しかし、そこだけでは、テニエスが110年前に言ったコミュニティを手にすることはできない。それはあくまでも昨日を基盤とするひとつの社会に過ぎない。ここにおいて、社会セクター、すなわち非政府組織であり非営利でもあるNPOだけが、今日必要とされている市民にとってのコミュニティ、特に専心社会の中アックとなりつつある高度の教育を受けた知識労働者にとってのコミュニティを創造することができる。(p273)

ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる

ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる

『母なる夜』カート・ヴォネガット 白水ブックス

「人間は気狂いだということさ。」と彼は言った。
「人間はいつでもひどいことをやるつもりでいて、神はそういうやつが理由を見つけるのに手を貸しているんだ。」
(P128)

「答えられた問い」
男たちは女たちに何を求めるのか?
欲望を満たされたときの顔つきを。
女たちは男たちに何を求めるのか?
欲望に満たされたときの顔つきを。
(P143)

どちらかの方向に動くという理由が 私に完全に欠如していたという事実のために、私は動けなくなった。
この長い無意味な死んだ年月の間私を動かしていたのは好奇心だった。今はそれさえも燃え尽きた。
(P250)

「勝手に神を味方につけて、資格もないのに憎むのは、喧嘩の理由にはならない。悪とは何だ?悪とは、たいていの人間の中にある限りなく何かを憎もうとする気持ち、神を味方につけて人を憎もうとする気持ちのことだ。およそ醜いはずのことに魅力を感じる人間の心にあるんだ。そういう人間のハ白痴的な部分が」と私は言った。「人を罰しようとしたり、中傷したり、喜んで戦争をやったりする。」
(P272)

子供の攻撃性を緩和する点については、私は反対です。最終的に大人の社会に出てゆくときに、彼らは持って生まれた攻撃性を全面的に必要とするようになるのです。子供時代に安全弁を縛り付けてしまって煮えたぎりあわ立ちながら成長しなかった偉人が歴史上一人でもいたでしょうか。
(P286)

説得力がありすぎて怖いんですよね。カート・ヴォネガットは。

『ねこのゆりかご』 カート・ヴォネガット・ジュニア ハヤカワ文庫

ちかぢか、すばらしいこびとの娘と結婚する予定です。目を開いて見さえすれば、世の中にはみんなに行きわたるだけのアイはたっぷりあるのですね。ぼくがその証拠です。(P33)

「この世界が不幸なのは」彼女はためらいがちに続けた。「人々がいまだに迷信にこだわり、科学的であろうとしないからです。それからこう言ったわ、もしみんなが科学をもっと勉強すれば、世界から不幸はなくなるでしょう。」(P39)

「同感とかそういうことじゃなくて、真理さえあればそれでいいのか、そこがうなずけないの」(P66)

科学と宗教を対比しながら、人類が向かうのは最終的にどういったところなのかが描かれている作品でしょうか。
おおざっぱに分析すれば、科学は外的な先行きを解き明かし、宗教は内的な先行きを解き明かすといったところでしょうか。誰でも両方の側面を持ってはいるのでしょうね。

『13日間で「名文」を書けるようになる方法』 高橋源一郎 朝日新

<若い読者へのアドバイス
(これは、ずっと自分自身に言い聞かせているアドバイスでもある)

人の生き方はその人の心の傾注がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です。注意力の形成は教育の、また文化そのもののまごうかたきあらわれです。人はつねに成長します。注意力を増大させ高めるものは、人が異質な物事に対して示す礼節です。新しい刺激を受け止めること、挑戦を受けること一生懸命になってください。
検閲を警戒すること。しかし忘れないことー社会においても個人においても最も強力で深層にひそむ検閲は、自己検閲です。
本をたくさん読んでください。本には何か大きなもの、歓喜を呼び起こすもの、あるいは自分を深めてくれるものが詰まっています。その期待を持続すること。二度読む価値のない本は、詠む価値はありません(ちなみに、映画についてもいえることです)。
言葉のスラム街に沈みこまないよう気をつけること。
言葉が指し示す具体的な、生きられた現実を創造するよう努力してください。たとえば、「戦争」というような言葉。自分自身について、あるいは自分が欲すること、必要とすること、失望していることについて考えるのは、なるべくしないこと。自分についてはまったく、または、少なくとももてる時間のうち半分は、考えないこと。
動き回ってください。旅をするkと尾。しばらくの間、よその国に住むこと。けっして旅することをやめないこと。もしはるか遠くまで行くことができないなら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の埋め合わせをしてくれます。たとえば、庭は、過去はもはやおもにではないという感情を呼び覚ましてくれます。
この社会では商業が支配的な活動に、金儲けが支配的な基準になっています。商業に対抗する、あるいは商業を意に介さない思想と実践的な行動のための場所を維持するようにしてください。みずから欲するなら、私たち一人ひとりは、小さな形ではあれ、この社会の浅はかで心が欠如した物事に対して拮抗する力になることができます。
暴力を嫌悪すること。国家の虚飾と自己愛を嫌悪すること。
少なくとも一日一回は、もし自分が、旅券を持たず、冷蔵庫と電話のある住居を持たないでこの地球上に生き、飛行機に一度も乗ったことのない、膨大で圧倒的な数の人々の一員だったら、と想像してみてください。
時刻の政府のあらゆる主張にきわめて懐疑的であるべきです。ほかの諸国の政府に対しても、同じように懐疑的であること。
恐れないことは難しいことです。ならば、いまよりは恐れを軽減すること。
自分の感情を押し殺すためでない限りは、おおいに笑うのはよいことです。
他社に庇護されたり、見下されたりする、そういう関係を許してはなりませんー女性の場合は、いまも今後も一生を通じてそういうことがありえます。屈辱を名根のけること。卑劣な男はしかりつけてやりなさい。
傾注すること。注意を向ける、それがすべての核心です。眼前にあることをできる限り自分の中に取り込むこと。そして、自分に課された何らかの義務のしんどさに負け、自らの生を狭めてはなりません。
傾注は生命力です。それはあなたと他社とをつなぐものです。それはあなたを生き生きとさせます。いつまでも生き生きとしていてください。
良心の領界を守ってください。
2004年2月 スーザン・ソンタグ
(P10)

私は、前回、わたしが57歳になって、つまり老人に近づいて、新しいことを見つけることができるようになっている、といいました。
老人は、確かに、子供に近い存在です。というのも、子供は、まだ押さなくて、この社会で何も「生産」することができません。それから、老人は、徐々に「生産」することができなくなってゆきます。どちらも、「生産」から遠ざけられているという点で、共通する存在なのです。
一方あなたたちが生きているこの社会で、もっとも価値があるとされて言うのは「生産」です。
いや、私は何も難しいことを言っているわけではありません。
あなたたちは、大学を卒業して、さまざまな企業に就職し、なにかを「生産」することを期待されています。あるいは、結婚し、家庭を築き、子供を「生産」することを、といっていいかもしれません。そして、それに寄与できないものは、社会から「余計者」と見做されるのです。
おそらく、そのせいで、つまり、「生産」というものと関係がないがゆえに、子供や老人は、落ち着いて、いろんなものを「見る」時間があるのです。「生産」というのは、簡単に言うと、金を得るために何かをするということです。(P139)

ソンタグは、自分のことは考えるな、といいました。では、その代わりに、何をすれば、何を考えればいいのでしょうか。その回答のひとつが、自分以外のだれか、もしくは、何かになってみる、そのことを想像してみる、ということです。
ソンタグがあえてそんなことをいったのは、人間というものは、彫っておくと、自分のことしか考えない、あるいは、考えられないからです。そして、そのことによって、人は、狭い世界に閉じ込められたままになってしまうのです。(P197)

私は、あなたたちに、「弱い」人間の立場になってもらいたかったのです。あなたたちは、もしかしたら、「自分」は「弱い」と思っているかもしれません。まだ親の世話になっているから、とか、自立できていないから、とか、これらか就職や恋愛や結婚やさまざまな解決しなければならない問題がたくさんあるはずだから、とか、そんな理由で不安になっているかもしれません。
けれどあなたたちは、十分に「強い」のです。いや、それでは、あまりに一般的な回答ですね。あなたたちは、さまざまな「強さ」と「弱さ」を併せ持っています。けれど、あなたたちより、遥かに「弱い」人たちがいるのを忘れないで下さい。
同情しろといっているのではありません。その「弱さ」の中に、あなたたちの本質もまた隠れている、と私は言いたいのです。(P267)

『「20円」で世界をつなぐ仕事』 小暮真久 日本能率協会マネジメン

僕は前職が戦略コンサルタントだったので、どうしてもフレームワーク的にものごとを考えるクセができています。ここでも「5P」というフレームワークで整理し、それをもとにしくみをつくることにしました。
1.purpose テーブル・フォー・ツーのミッションは何か。
2.partnering どんな組織や団体とどのような形態で連携していくか。
3.people どんな人たちを巻き込んでいくか。
4.promotion ミッションや活動内容を、どんな媒体や手段でどのように伝えていくか。
5.profit どうやって事業収益を上げて目的を達成するか。(P34)

「勝てるところ」を探して一番になる。
ただし、僕は「ほかの団体と戦って勝つ」という競争の部分よりも、「ほかの団体がやっていないことを探す」「ほかの団体にはない活動の特徴を出す」といった差別化の部分が大切だとおもっています。
地球規模の社会的な課題が無数にある中で、やるべきこともたくさんあります。ほかの人がすでに着手していることをやっても先行者のほうが有利に決まっています。それならば、どんなに小さくてニッチなテーマでも、自分たちの強みが生かせる、自分たちだけにしかできないことをやろう。そういった、マーケティング用語で言うところの「ポジショニング」的な発想はとても大事です。(P38)

マッキンゼー流の問題解決方法をたたきこまれます。具体的には、「ロジックツリー」「イシューアナリシス」「ピラミッドストラクチャー」など思考のためのツールと、「マーケティングの4P」「分析の3C」などのフレームワークと伊代ばれるものを教わり、そのあと、様々なケースの問題解決に実戦さながらに取り組むのです。(P64)

迷った挙句、これは「自分をもう一度見つめなおさないと答えが出ない」という結論に達しました。そこで大きな模造紙を買ってきて、ものごころついたときから今日までを振り返り、どんなときに心の底から楽しかったか、何をつらいと感じたかといったことを、とにかく思い出せる限り、雑多にそこに書き出してみました。(P75)

話の中で印象に残ったのは、社会の課題を地球規模で考えるという点です。通信や移動、輸送手段の発達によって、いまや世界は網の目のようにつながり、依存し合っています。そうした現状を踏まえれば、一国や一つの地域の取り組みで解決する課題というのは少なく、大半は地球を俯瞰的に見て、「一気に串を刺すような方法」をとらないと、根本的な解決に至らない。そうした考え方には深く共感しました。(P80)

そんな生意気な僕のことを、先生たちもよほど腹にすえかねたのでしょう。卒業文集には「いたずらやルール破りが多く、注意されても屁理屈をいって正当化しようとする」という、僕に対する評価がしっかりと書かれています。(P87)

食肉処理場では、忘れられない光景も目にしました。これから殺される牛たちが並んで順番を待っています。その牛たちは自分の運命を知っているのでしょうか?目にいっぱいの涙を浮かべているのです。泣いている牛がずらりと並ぶその光景は、とても衝撃的なものでした。(P97)

自分だけが満たされても、自分の働く会社だけが儲かっても、それは結局本当の幸せにはつながらない。組織、会社、国など、これまで多くの人を守り、かつ外界から遮断してきた「壁」は次第にその意義を失いつつあります。この壁を乗り越え、思いを同じくする人たちとつながる方法を、多くの人が模索し始めているのです。(P145)

募金箱を設置し、社員に協力を呼びかけましたが、肝心の寄付は当初の予想よりもずっと少ない額しか集まりませんでした。「うちの会社は社会貢献に対する意識が低いのか」、そう思って担当者は頭を抱えたそうです。でも、そうではないのです。
(中略)人を動かし、参加してもらうためには理念だけではなく、「やってみよう」と思わせる無理のない仕組みが、生活の一部になっていることが必要です。募金箱にお金を入れてもらうためには、まず財布を取り出してもらわなけらばなりません。しかし、かんたんにそうに見えて、この作業はとてもエネルギーを要します。(P190)