『13日間で「名文」を書けるようになる方法』 高橋源一郎 朝日新

<若い読者へのアドバイス
(これは、ずっと自分自身に言い聞かせているアドバイスでもある)

人の生き方はその人の心の傾注がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です。注意力の形成は教育の、また文化そのもののまごうかたきあらわれです。人はつねに成長します。注意力を増大させ高めるものは、人が異質な物事に対して示す礼節です。新しい刺激を受け止めること、挑戦を受けること一生懸命になってください。
検閲を警戒すること。しかし忘れないことー社会においても個人においても最も強力で深層にひそむ検閲は、自己検閲です。
本をたくさん読んでください。本には何か大きなもの、歓喜を呼び起こすもの、あるいは自分を深めてくれるものが詰まっています。その期待を持続すること。二度読む価値のない本は、詠む価値はありません(ちなみに、映画についてもいえることです)。
言葉のスラム街に沈みこまないよう気をつけること。
言葉が指し示す具体的な、生きられた現実を創造するよう努力してください。たとえば、「戦争」というような言葉。自分自身について、あるいは自分が欲すること、必要とすること、失望していることについて考えるのは、なるべくしないこと。自分についてはまったく、または、少なくとももてる時間のうち半分は、考えないこと。
動き回ってください。旅をするkと尾。しばらくの間、よその国に住むこと。けっして旅することをやめないこと。もしはるか遠くまで行くことができないなら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の埋め合わせをしてくれます。たとえば、庭は、過去はもはやおもにではないという感情を呼び覚ましてくれます。
この社会では商業が支配的な活動に、金儲けが支配的な基準になっています。商業に対抗する、あるいは商業を意に介さない思想と実践的な行動のための場所を維持するようにしてください。みずから欲するなら、私たち一人ひとりは、小さな形ではあれ、この社会の浅はかで心が欠如した物事に対して拮抗する力になることができます。
暴力を嫌悪すること。国家の虚飾と自己愛を嫌悪すること。
少なくとも一日一回は、もし自分が、旅券を持たず、冷蔵庫と電話のある住居を持たないでこの地球上に生き、飛行機に一度も乗ったことのない、膨大で圧倒的な数の人々の一員だったら、と想像してみてください。
時刻の政府のあらゆる主張にきわめて懐疑的であるべきです。ほかの諸国の政府に対しても、同じように懐疑的であること。
恐れないことは難しいことです。ならば、いまよりは恐れを軽減すること。
自分の感情を押し殺すためでない限りは、おおいに笑うのはよいことです。
他社に庇護されたり、見下されたりする、そういう関係を許してはなりませんー女性の場合は、いまも今後も一生を通じてそういうことがありえます。屈辱を名根のけること。卑劣な男はしかりつけてやりなさい。
傾注すること。注意を向ける、それがすべての核心です。眼前にあることをできる限り自分の中に取り込むこと。そして、自分に課された何らかの義務のしんどさに負け、自らの生を狭めてはなりません。
傾注は生命力です。それはあなたと他社とをつなぐものです。それはあなたを生き生きとさせます。いつまでも生き生きとしていてください。
良心の領界を守ってください。
2004年2月 スーザン・ソンタグ
(P10)

私は、前回、わたしが57歳になって、つまり老人に近づいて、新しいことを見つけることができるようになっている、といいました。
老人は、確かに、子供に近い存在です。というのも、子供は、まだ押さなくて、この社会で何も「生産」することができません。それから、老人は、徐々に「生産」することができなくなってゆきます。どちらも、「生産」から遠ざけられているという点で、共通する存在なのです。
一方あなたたちが生きているこの社会で、もっとも価値があるとされて言うのは「生産」です。
いや、私は何も難しいことを言っているわけではありません。
あなたたちは、大学を卒業して、さまざまな企業に就職し、なにかを「生産」することを期待されています。あるいは、結婚し、家庭を築き、子供を「生産」することを、といっていいかもしれません。そして、それに寄与できないものは、社会から「余計者」と見做されるのです。
おそらく、そのせいで、つまり、「生産」というものと関係がないがゆえに、子供や老人は、落ち着いて、いろんなものを「見る」時間があるのです。「生産」というのは、簡単に言うと、金を得るために何かをするということです。(P139)

ソンタグは、自分のことは考えるな、といいました。では、その代わりに、何をすれば、何を考えればいいのでしょうか。その回答のひとつが、自分以外のだれか、もしくは、何かになってみる、そのことを想像してみる、ということです。
ソンタグがあえてそんなことをいったのは、人間というものは、彫っておくと、自分のことしか考えない、あるいは、考えられないからです。そして、そのことによって、人は、狭い世界に閉じ込められたままになってしまうのです。(P197)

私は、あなたたちに、「弱い」人間の立場になってもらいたかったのです。あなたたちは、もしかしたら、「自分」は「弱い」と思っているかもしれません。まだ親の世話になっているから、とか、自立できていないから、とか、これらか就職や恋愛や結婚やさまざまな解決しなければならない問題がたくさんあるはずだから、とか、そんな理由で不安になっているかもしれません。
けれどあなたたちは、十分に「強い」のです。いや、それでは、あまりに一般的な回答ですね。あなたたちは、さまざまな「強さ」と「弱さ」を併せ持っています。けれど、あなたたちより、遥かに「弱い」人たちがいるのを忘れないで下さい。
同情しろといっているのではありません。その「弱さ」の中に、あなたたちの本質もまた隠れている、と私は言いたいのです。(P267)