『ネクスト・ソサエティ』 P.F.ドラッカー ダイヤモンド社

産業革命は家族にも大きなインパクトを与えた。それまでは家族が生産単位だった。農家の畑や職人の作業場では、夫、妻、子供が一緒に働いていた。ところが人類史上初めて、工場は働く者と仕事を家から引き離し、職場へ移した。家には工場労働者の配偶者が残された。産業革命初期の子尾rには年少者が親から引き離された。
実のところ、家族の崩壊は第二次大戦後に現れた問題ではなかった。それは産業革命によって生まれ、産業革命に反対する人たちの懸念どおりに振興した。労働と家族の分離、及びその影響の大きさは、チャールズ・ディケンズの小説『ハード・タイムズ』に見ることができる。(P74-75)

IT革命とは、実際には知識革命である。諸所のプロセスのルーティン化を可能にしたのも機械ではなかった。コンピュータは道具であり、口火であるに過ぎなかった。ソフトとは仕事の再編である。知識の適用、特に体系的分析による仕事の再編である。鍵はエレクトロニクスではない。認識科学である。(P88)

教育の最大の障害は、職を奪われることを恐れる教師である。もうひとつの障害は、途上国では教育が求められているとはかぎらないことだ。(P96)

抗生物質の発明などの医療の進歩は平均寿命にほとんど寄与していないという事実である。ごくわずかの人たちにとっては福音だった。統計的にはほとんど意味が無い。平均寿命に寄与したのは労働環境の改善のほうである。私が生まれたころは労働人口の95%が肉体労働に従事していた。そのほとんどが危険な仕事だったり、体力を消耗する仕事だった。(P98)

今日の若者文化が続かないことは明らかである。昔から、文化というものは人口の伸びの最も大きな年代によって規定されてきた。今日、人口の伸びの最も大きな世代は若年者ではない。(P99)

これからは知識を基盤とする流通企業へと変身しなければならない。大転換である。第一次大戦後の農業に匹敵する。これまで製造業生産は急速に伸びてきた。しかし、GNPに占める地位は急速に低下した。雇用も急速に減少した。製造業は国民経済に大きな付加価値をもたらさなくなった。その役割を知識産業と流通産業が担うようになった。(P100)

世界中で、製造業のブルーカラーが所得よりも大事なものを失いつつある。社会的な地位である。そこであたかも雇用の輸出であるかに見えるグローバル化に反対する。だが、そうではない。輸出される雇用などわずかである。高が知れている。問題の根本は、国内で雇用が一変しつつあることにある。グローバル化への抵抗は続く。彼らは昨日の問題にとらわれている。しかし、それは今日の痛みゆえの抵抗である。(P103)

コンピュータを使うことは最低限の能力に過ぎない。10年あるいは、15年後にはコンピュータではなく情報を使うことが当たり前になっていなければならない。今日のところ、そこまで行っているものはごくわずかである。(P106)

世界市場を相手に事業をしているという人の会社の株は手放したほうが良い。しらないことについて事業はできない。われわれは世界中のことを全て知ることはできない。知りうることのみを知るのみである。いかなる事業であっても焦点を絞らなければならない。多角化が成功するのも情報があるときだけである。日本の大阪に突然、競争相手が現れたというのでは、情報を持っていたことにはならない。われわれは自らの組織の外の世界、市場、顧客についてあまりに知らなさ過ぎる。特に流通チャンネルほど早く変化するものは無い。報告があがってきたころには手遅れである。(P111)

ギリシャの歴史家ツキディデスは、覇権は自滅するといった。覇権を持つものは傲慢になる。自己満足に陥る。しかも他の勢力を結集させる。必ず拮抗力が生まれる。自滅せざるをえない。防衛的になる。尊大になる。過去を守るだけになる。そして自滅する。歴史に長命の独占は無い。(P132)

第4に、CEOが真剣に取り組まなければならない課題が、知識労働の生産性の向上である。肉体労働では以下に仕事をするかだけが問題だった。何をするかは自明だった。ところが知識労働では、何をするか、何をしていなければならないかが問題である。競争力を保つためには、これを考えることが最も重要である。(P146)

最近の例としては、病院経営用のソフトを開発したベンチャーがあった。しかし病院ではそれを使える体制になっていなかった。ひとつも売れなかった。ところが、たまたまそのソフトを知ったある小さな市役所が、ちょうど探していたものであることに気づいた。それを耳にしたほかの市からも注文が来た。だが、そのベンチャーは、それらの注文に合わせてソフトに手を加えることを拒否したという。(P154)

実は、書類仕事を減らすことのメリットは、人間関係に使う時間を増やすことにある。企業の幹部たるものは、大学の学部長やオーケストラの指揮者ならば当然のこととしていることを知らなければならない。優れた組織を作り上げる鍵は、働き手の潜在能力を見つけ、それを伸ばすことに時間を使うことである。(P182)

もうひとつ、セントルイスルーテル教会NPOがあった。彼らはホームレス家族の4割はわずかの支援で社会復帰できそうだと判断した。そこで必要としているものを探ることからはじめた。答えは自立だった。そこで、そのNPOは壊れた家を買い取った。手を入れて中流並みの家に仕上げて住まわせた。それだけで生き方が変わったという。仕事も見つけてやった。ホームレス家族の8割が自立した。(P211)

いま、言ったこと全てにかかわらず、日本を軽く見ることはできない。一夜にして180度転換するという信じられない能力を持っている。ただし助け合いの伝統のあまりない日本では、痛みは耐えがたいものとなろう。(P218)

かつて戦争における戦略上の目標は、クラウゼビッツが言ったように、敵の戦闘能力の破壊、敵国の軍事力の破壊にあった。敵国の民間人やその財産は目標とされなかった。ところが、20世紀の最初の戦争、すなわちボーア戦争において、このルールが変えられた。戦略上の目標が、敵の潜在的戦闘能力の破壊、すなわち敵の経済の破壊と定義されなおした。近代西洋の歴史上始めて、敵国の民間人が対象とされた。ボーア軍のっ先頭意欲をそぐために、イギリス軍は史上初めて強制収容所を作り、ボーア人の婦女子を押し込めた。(p245)

今日、国際赤十字が傷病者と戦争捕虜の処遇にかんして行ったことを、民間人とその財産に関しても行わなければならない。ここにおいても、国際赤十字と同じように、国民国家の主権を相当程度制限することのできるグローバル機関が必要とされている。(p248)

これまで、田舎社会はいたずらに美化されてきた。欧米では牧歌的に描かれてきた。だが田舎社会のコミュニティは強制的かつ束縛的だった。(p268) かつてのコミュニティは束縛的だっただけでなく、侵害的だった。(p269)

都市社会には光り輝く高度の文化があった。しかし、それは臭気を覆う薄膜に過ぎなかった。1880年ころには、まともな女性は昼でさえ一人歩きができなかった。男性でさえ、夜歩いては帰れなかった。(p270)

都市社会は田舎社会の強制と束縛から人を解放した。そこに魅力があった。しかしそれは、それ自体のコミュニティを持ち得なかったために破滅的だった。人はコミュニティを必要とする。建設的な目的をもつコミュニティが存在しないとき、破滅的で残酷なコミュニティが生まれる。ビクトリア朝イングランドの都市がそうだった。今日のアメリカ、そして世界中の大都市がそうである。そこでは無法が幅をきかす。(p271)

知識社会においては、企業は生計の資を得る場所ではあっても、生活と人生を築く場所ではありえないからである。それは、人に対して物質的な成功と仕事上の実現を与えるし、またそうでなければならない。しかし、そこだけでは、テニエスが110年前に言ったコミュニティを手にすることはできない。それはあくまでも昨日を基盤とするひとつの社会に過ぎない。ここにおいて、社会セクター、すなわち非政府組織であり非営利でもあるNPOだけが、今日必要とされている市民にとってのコミュニティ、特に専心社会の中アックとなりつつある高度の教育を受けた知識労働者にとってのコミュニティを創造することができる。(p273)

ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる

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