『ドラッカー365の金言』 P.F.ドラッカー ダイヤモンド社

未来学者は、自ら予測したことがどれほど実現したかで的中率を測る。予測しなかったもののうち、重要なものがどれほど現実となったかは数えない。予測したものすべてが実現することもある。だが、彼らは最も重要なことを予測せず、困ったことにはそれらに関心を示すことさえない。
この予測の空しさは避けられない。重大な変化は、価値観の変化、認識の変化、目的の変化など、予測不能なものの変化によってもたらされるからである。事業を行うものにとって重要なことは、「すでに起こった未来」を確認することである。社会、経済、政治において重要なことは「すでに起こった未来」を機会として利用することである。それらの変化を認識し、分析する方法を開発することである。(1月2日)1-9.1214.15.18.19.20.21.22

1881年アメリカ人フレデリック・ウィンスロー・テイラーが肉体労働者の仕事の研究、分析、組み立てに知識を適用した。そこから生産性革命が起こった。生産性革命は成果をあげた。その結果、今日では日肉体労働者の生産性が問題となった。知識に知識を適用することが必要となった。
そして今日、いかなる知識が必要か、その知識は可能か、知識を意味あるものにするには何が必要かを明らかにするために、知識は意識的かつ体系的に適用されるようになった。すなわち、知識は体系的なイノベーションに使われるようになった。この知識の知識への適用の段階がマネジメント革命である。つまるところ、成果を生むために既存の知識をいかに適用するかを知るための知識がマネジメントである。(2月3日)2−4.7.9.15.17.19.27.29

変化はコントロールできない。できるのは、変化の先頭に立つことだけである。今日のような乱気流の時代にあっては、変化が常態である。変化はリスクに満ち、楽ではない。悪戦苦闘を強いられる。だが、変あの先頭に立たない限り、生き残ることはできない。急激な構造変化の時代を生き残れるのは、チェンジリーダーとなるものだけである。
チェンジ・リーダーとなるためには、変化を脅威ではなくチャンスとして捉えなければならない。変化を探し、本物の変化を見分け、それらを意味あるものとして利用しなければならない。自ら未来を作ることにはリスクが伴う。しかし、自ら未来を作ろうとしないことのほうがリスクは大きい。成功するとは限らない。だが、自ら未来を作ろうとせずに成功することはない。(3月1日)3-2.4.30

組織のリーダーを選ぶには何を見なければならないか。
第一に、何をしてきたか、何が強みかを見る。成果を挙げるのは強みによってである。したがって、その強みを生かして何をしてきたかを見る。
第二に、組織が置かれている状況を見て、行うべき重要なことは何かを考える。そして、そのニーズに強みを組み合わせる。
第三に、真摯さを見る。リーダー、特に強力なリーダーとは模範となるべきものである。組織内の人たち、特に若い人たちが真似をする。
ずっと前のことだが、私は、世界的な規模の大組織のトップを勤めるある賢人から大事なことを教わった。かれは70代後半だったが、人事の適切さで有名だった。何を見るのかを聞いたところ、「重要なことは、わが子をその人の下で働かせたいと思うかである。その人が成功すれば、若い人が見習う。だから、私はわが子がその人のようになってほしいかを考える」と答えが。これが人事についての究極の判断基準である。(4月5日)4−17.21.22.24.25.

今日の多元社会における組織は、統治や支配には関心がない。かつてのものと異なり、完結した存在ではない。成果はすべて外部にある。企業が生み出すものは、満足した顧客である。病院が生み出すものは、治癒した患者である。学校が生み出すものは、学習したことを10年後に使う卒業生である。
今日の多元社会は、かつての多元社会よりはるかに柔軟である。社会を分裂の方向へ向けさせることはない。中世の教会や領主や自由年など、かつての多元的組織のように政治権力を奪い合うことはしない。しかし、世界観と関心を分かち合うこともない。今日の組織は自らの目的を中心におき、絶対視し、意味あるものとするそれぞれが独自の言葉で話し、独自の知識、独自の秩序、独自の価値観を持つ。鹿亜もそれらの組織のうち、社会全体に対して責任を負うものは1つとしてない。sy貸しの問題は誰かの仕事と見る。しかし、それは誰の仕事なのか。(5月5日)5-7.19.26.29.30

情報型組織に必要な条件は何か。オーケストラにおいて、一人の指揮者の下で100人の音楽化が演奏できるのは、全員が楽譜を持っているからである。病院では、あらゆる専門化が患者の治療という共通の任務についている。カルテが楽譜の役を果たし、レントゲン技師、栄養士、理学療法士、その他全員にとるべき行動を教える。換言するならば、情報型組織には、具体的な行動に翻訳できる明確で単純な共通の目標が必要である。
情報型組織の主役は専門家であって、仕事の仕方に口出しをすることはできない。識者の中にはフレンチ・ホルンの奏者に手本を占めるどころか、音さえ出せるものがいない。しかし指揮者は、オーケストラ全体の演奏において、フレンチ・ホルンの技術と知識をいかに生かすかを知っている。これこそ情報型組織のリーダーが見習うべきモデルである。したがって、情報型組織は、期待する成果を明確に表gんした目標を中心に組織しなければならない。さらには、期待と成果についてのフィードバックを中心に組織しなければならない。(6月3日)6-7.13.30

事業の定義は3つの部分からなる。第一に、組織をとりまく経営環境である。社会、顧客、技術である。第二に、組織の使命である。これが組織にとっての成果を明らかにする。経済や社会に対し、何を貢献するつもりかを明らかにする。段さんに、組織の使命を達成するうえで、必要な中核的能力である。これは組織がリーダーシップを維持していくためには、いかなる分野でぬきんでなければならないかを明らかにする。
メディチ家イングランド銀行創立者からIBMのトマス・ワトソンにいたるまで、偉大な事業の建設者はみな、鋭角名事業の定義を持っていた。直感に頼ることなく、明確でシンプルな事業の定義を藻琴が、成功する事業の特徴である。(7月1日)7-5.18

自らの製品、サービス、プロセスを自ら陳腐化させることが、誰かに陳腐化させられることを防ぐ唯一の方法である。昔からこのことを理解し受け入れてきた企業がデュポンだった。同社は1938年いナイロンを世に出したとき、直ちに、これと競争できる新しい合成繊維の研究に取り掛かった。同時に、価格を下げ、同社の特許を迂回することの魅力を小さくした。
これこそ、なぜデュポンが今なお世界一の合成繊維メーカーの地位を占めているか、また、なぜ同社のナイロンが依然として売れ続け、かつ利益を上げているかの理由である。(8月5日)8-6.10.19.30

3人の石切工の話がある。何をしているかを聞かれて、それぞれが「暮らしを立てている」「石切の仕事をしている」「教会を立てている」と答えた。第3の男こそ、真のマネージャーである。第一の男は、仕事で何を得ようとしているかを知っており、事実それを得ている。一日の報酬に対し一日の仕事をする。だが、マネージャーではない。将来もマネージャーにはならない。問題は第2の男である。熟練した専門能力は不可欠である。確かに組織は、最高の技能を要求しなければ二流の存在になる。しかしスペシャリストは、単に石を磨き脚柱を集めているに過ぎなくとも、重大なことをしていると錯覚しがちである。専門能力の重要性は強調しなければならない。だが、それは全体のニーズとの関連においてでなければならない。(9月29日)

権力の正当性は、人の本質と目的についての理念によって規定される。正当な権力とは、社会のエトスによって正当化される支配権である。もちろんいかなる社会にも、その社会の理念とはかかわりのない権力が多数存在する。人間存在の目的にかかわりのない組織も多数存在する。自由社会には無数の自由ならざる組織が存在し、平等社会にも無数の不平等が存在し、聖人社会にも無数の罪人が存在する。
しかし、ある社会が自由社会、平等社会、あるいは聖人社会として機能することができるのは、われわれが支配権と呼ぶ決定的な社会権力が、自由平等、あるいは聖性を標榜し、処暑の制度がそれらの実現のために機能している間のみである。ここにおいて、制度的構造が正当な権力の構成要件のひとつとなる。(10月16日)10-20.23

ほとんどの組織が1つの予算しか持たない。こう教示は一律に増やし、不況時は一律に減らしている。だが、それでは未来を手にすることはできない。チェンジ・リーダーたるには2つの予算が必要である。そのひとつが現在の事業のための予算である。この予算は、事業を継続する上で必要な最小限の規模を考える。しかも不況時には規模を縮小する。
しかしチェンジ・リーダーたるには、未来のための予算を持たなければならない。この予算は、新事業が最大の成果を上げる上で必要な規模がどれだけかを考える。この未来のための予算は、組織の存亡にかかわる非常時を除き、好不況にかかわらず一定に保たれる。(11月5日)11-19.20.26.29

経済的な能力をわきまえずに、負担しきれない社会的責任を果たそうとするならば、直ちに問題が発生する。
ユニオン・カーバイトが、失業を緩和する目的でヴァージニア州ヴィエナに工場を建てたことは、sy快適に責任ある行動ではなかった。結果として無責任だった。最初から終始ぎりぎりで、工程が旧式だった。工場は息をするのがやっとだった。このことは、ユニオン・カーバイトが、自ら引き起こす問題を処理できないことを意味していた。事実、同社は環境対策の要求に抵抗せざるを得なくなった。
環境対策の要求は、失業への関心が環境への関心をはるかに上回っていた1940年代末にはなかった。しかし、やがてそのような要求が出ることは予期しておかなければならないことだった。そもそも社会的責任のためとして不経済なことをするのは、責任ある行動ではなかった。たんに情緒的な行動だった。損害をこうむるだけのことだった。(12月12日)12-20.24.25.30