『永遠の子ども』 フィリップ・フォレスト 集英社

死亡通知上の上で、ガンはコード化され婉曲に表現される。死者は「長く残酷な病」で亡くなられた。(中略)通知状を書くのは生き残ったものである。彼らには病気は、ときに長すぎ、果てしなく思える。彼らが選ぶ形容詞が彼らの焦燥感、これを早く終わらせたいという欲望、生きている者の間で有効に使うべき時間を死にかけているものが不当に奪っているという残忍な信念を、具合悪く明かしてしまう。

ジョイスは書いている。『センチメンタリズムは、それとの間で契約した実際の負債を支払うことなく、感動を享受することである。』(P292)

かわいい盛りの4歳のひとり娘を小児がんで亡くした著者の作品です。愛する者の死は、何をもってしても埋めることができないということを改めて教えられた本でした。
著者は、同じく一人息子を亡くしている小林一茶の「露の世は 露の世ながら さりながら(この世が露のように、はかないものだとは知っていた。だがそれにしても…)」という句にまつわる本ものちに書いています。人間は死を直視できなくても、それは当たり前なのかもしれないと考えさせられました。