『人生の旅をゆく』 よしもとばなな 幻冬舎文庫

1旅は、その旅がいくらひどくても、その思い出はすばらしいものになる。

何か過剰に精神的な期待をしている感じ、それが採っても嫌いなのだ。(P22)

たぶん、彼女にとってはかけたい時が電話をするときで、会いたい時が会うときで、心配な時心配するとき、好きな時が好きなときなのだ。そのことはよく知っていて長年友達づきあいをしてきた。(P36)

ある日パトリス・ジュリアン氏の「いんげん豆が教えてくれたこと」(幻冬舎)という本を読んだ。さすがに日本に住んでいるのが長く、しかも日本を外から見ることができているために、彼は日本人の生活をよくとらえている。(中略)「一日のうちに僕たちの中に無意識に入り込む、数え切れないほどのイメージー行きかう人々の顔、壁の色、建物のフォルム、道路などーを思い描いてみる。そしてフランスの街の空と日本の空を比べてみる。いったい何が違うだろう?そんなに変わりないって?いいえ、明らかな違いh確かにあり、何かというとそれは電線。日本では人間と空の間には、まるで酔ったクモが編んだみたいにいろんな方向にいろんな網目の詰まり具合で張り巡らされたクモの巣のような電線がある。」(中略)日本には、とくに東京には、目の滋養になり、人々が老若男女を問わずにほっとしたり、内面の空間や景色がほんとうにないのだな、と思った。みんなが、ほっとしたり、生活を楽しく思ったり、人生を充実させたいという想いを否定したほうがいいと思ったのではないか?とすら思う。そのなかではお金が神様で、大人も子供もお金がなければ楽しめないシステムになっているように思う。(P41)

そこにはまず、「施設よりも人間が先、そして人間は生々しいものである」という考えがどっしりとあるからでる。(P56)

2自分以外の種類のせい目に寄り添う、そんなことのすべてが人生に良い味わいを与えてくれる。

季節が変わるのは一瞬だ。そしてもういくら振り向いてもさっきまでの季節は戻ってこない。そしてやってきた季節の美しさをな眺め始める…それが年に4回もあるのだから、感性も繊細になるはずだ。贅沢なことだと思う。日本人独特のはかない無常観というものがあるが、南米などの文化では、同じことをあらわすにも、もっと激しいものになるのではないか。(P83)

そのお姉さんは、にんぷさんが 来たら「もう産まれる?」と聞き、ひとりごとをいうお爺さんが来ても普通に、「いらっしゃいませ」といい、急須を割った人がいれば「おけがはないですか?」とまず聞き、うちの赤ちゃんが来ればにこにこしてくれる。(P105)

小さな花のような細々としたくだらない幸せ…そういうもので本当の人生というものはできている。進学とか恋愛とか結婚とか葬式とか…そういった大きいことだけでできているわけではない。ちいさなことが毎日毎日覚えきれないほど、数え切れないほどあって、そのなかで小さな幸せの粒つぶを感じて、それを呼吸して魂は生きているのだと思う。それがどんどん、削られていっているのが悲しいのだ。(中略)人々はすべての「不確定要素」を怖れている。私もそうかもしれない。だからなんでも「確定」した対応をしたら大丈夫な気がしてしまう。でもきっとその方法の中には未来はない、そういう気がする。
(P127)

実は人間ってすごく敏感な生き物で、調子のいい時の私がガラ空きの店に入るとあとからぞくぞくと人がやってきて満席になることはよくある。糸井重里さんもそうだと言っていた。大ぜいを相手にしている仕事の人のいい感じの気に、人は無意識に引き寄せられてくるものらしい。(P133)

この間東京で居酒屋に行ったとき、もちちろんビールやおつまみをたくさん注文した後友達がヨーロッパ土産のデザートワインを開けよう、と言い出した。その子は一時帰国していたが、もう当分の間外国に住むことが決定していて、その日は彼女の送別会も兼ねていたのだった。それで、お店の人にこっそりとグラスを分けてくれる?と相談したら、気のいいバイトの女の子がビールグラスを余分に出してくれた。コルク用の栓抜きはないということだったので、近所にある閉店後の友達の店から借りてきた。(中略)するとまず、厨房のバイトの女の子が激しく叱られているのが聞こえてきた。さらに、突然店長というどう考えても年下の若者が出てきて、私たちに説教し始めた。(中略)「こういうことを一度許してしまいますと、きりがなくなるのです。」(P131)

西洋の形式だkはなぞっているけれど、子供はある程度大きくなるまで両親と同じ部屋で眠るし、だからと言って、働いている間や出かけたい時、子供を預ける人は周囲にいない。だからみんなこどもを産まなくなってきている。楽しくて面白い事よりも、つらいことのほうが多いなんて、この環境、根本的に間違っている。また、病院もそうだ。(P138)

体を整えて世組めれば、一日の中には必ず宝が1個くらい眠っている。それおw大事に輝かせて、いい眠りの中に入っていこう。形ではない。どんな人とも違う、自分だけのやり方がある。それを思い出そう。そんなことから、世界はもう一度新しい一歩ほ踏み出すのだと思う。こういう考えを「子供じみている」という古い考えと戦うために、私はちっぽけな小説をこつこつと、まずは自分の満足と楽しみのために書いていく。もしもそれを人が喜んで読んでくれたら、ほんのしばらくその中で憩ってくれたら、私の人生はもう十分巣嵐委。デブでもものぐさでもブスでもバカでもセンスが悪くてもなんでも間でも、もうそれで十分なのだ。それとおなじものを、すべてのひとが持っているはずだ。「あなたがいてくれてよかった」と他の人に思われるようなところを。(P149)

3この世のどんなことも、
いつかはなくなり、
どんなに行きたくても、
いけないところになってしまう。
だから、この生涯に
思い出をいっぱい集めていきたい。

朝起きて、隣に寝ている赤ちゃんを見ると、向こうもうっすらと目を覚ます。そして、和足の顔を見て、にっこりと笑う。一番初めの顔が笑顔だということは、一日の始まりを何の疑いもなく受け入れていることだろうと思う。なんてsごいことだろう!と私は毎日感動し、そして、自分がすっかり忘れてしまった何かに驚く。いつか覚えていないほど遠いむかし、私にとっても朝は楽しいことの始まり、小さな死からの再生だったに違いない。(P156)

この人はダンボールを愛しているから泣いているのでもなく、仕事大切に思うあまり、それが少しでもできていない客を啓蒙したくて泣いているのでもない。これは、疲れてしまっているのだ。やってもやっても報われない気がしてしまっているのだ。そして、私個人を怒鳴りたいわけで文句て、彼を認めてくれない、大勢のお客さん全員、世の中全体にぶつけたいんだ…。そしてその考えの最後に、「つまりは親だ、親に言いたいんだ、親にひどい仕打ちをされている感覚なんだ。」と気づいた。言わなかったけれど。そういう風に気付いたら、なんだかそういう意図たちの心の叫びが切なくなり、ああ、自分のやり方一つで、一部の特別変な人は別としても、普通の感覚をもつたいていの人とはコミュニケーションをとることができるのになあ、気付くといいのになあ、と思うのだった。(P190)

でも、父と母はふだんは全く意見が合わないのに、そういうところだけはぴったりと気が合っていて、「確かにお金に困ることもあるけど、そういうことを削って、いいものよりもまずくて安いものを食べて生きていくなら、生きていく意味はない。消えていくものだからこを、大事にするべきなんだ。」(P193)


自分の感覚を信じて、その場を波に乗るように乗りこなし、豊かな時間を紡いでゆく。人より優れた能力も功績もなくても、美しい自然や人の優しい気持ちに同化するなかで、豊かな時間を見つけることができる。自分たちをすり減らす根源は、人間関係であり、打算的な人生観だ。個々の人間関係の構築していくことが重要で、それは自分のやり方一つでなんとかなるものなのだ。そこから始めるしかない。

人生の旅をゆく (幻冬舎文庫)

人生の旅をゆく (幻冬舎文庫)