『人生って?』 よしもとばなな 幻冬舎

私は、その人にとっての優しさを定義するのは「育ち」だと思います。親のしたように、自分の環境でそうであったように。もしくは親がしてくれなかったこと、自分の環境になかったもの。…をひとが「優しさ」と判断するのであって、まさに人それぞれです。たとえ愛し合う人たち同士でも、家族の間でも、そういう理由で定義が食い違うからこそいろいろな問題が起きるのでしょう。(P15)

そして機会があれば美しいものをたくさん見せて、その時間を共有すること。そのうえで光もあれば影もあるということを、教えていくこと。
この世には、問答無用で駄目なことがあるということを教えること。人を殺すこと、動物や弱いものをいじめること、目上の人に失礼をすること、食べ物で遊ぶことなど。(P100)

あまりにも変なものが多すぎて、きれいなものやまともな人を探すほうが大変なくらいです。目に映るのが変なものばっかりなのにどうやってまっすぐ育てられるのか、深く考えるときりがないくらい。(P99)

グラン・トリノ」という映画のように、地域社会の構造次第ではどんどん悪くなっていく可能性もあります。子供の時期の人間関係っていうのは、先生も含めて理不尽なことばかりです。理不尽を習いに行ったのか?と思うようなことが多いです。(P106)

なんでも底の底の底に沈むと、そこには広い空間があり、呼吸も深くなり、物事が静かに見えてくるものです。何度でも底に沈み、何度でも浮き上がり、そこにいる自分のほうに軸を置くしかないのです。上にあがったらくちんな自分に軸を置いて生きていきたいと、誰もが夢見るでしょう。でも、人生はそういうものではないみたいです。
底(どん底の意ではない、心の中の水底みたいな、一人だけの場所、うれしくもハイでもなく、悲しくもない)こそが、自分の軸のあるところだと思えれば、こわいものはかなり少なくなるはずです。そして感謝が静かにわいてくるはず。今日も生きていたという奇跡に感謝する気持ち、それから自分は一人ではなく愛する人がいるという気持ち。それに乗って突っ走ったり、浮き上がったりするのではなく、そこを起点に明日も生きるのです。(P145)


よしものばななさんが、思春期にこういう本があってくれたらよかったな、という想いから書かれた本です。中学生のときの自分が読んだとしても、ほとんど理解できなかったと思いますが、クラスでどれくらいの子が理解できるでしょうね。5〜10人くらいかな。でも、それってかなり多い。

Q人生って?

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