『フォーサイト 12月号 「人間学としての経済学 第5回」』 堂

「自然は人類を苦痛と快楽という二人の主人の支配のもとにおいてきた。われわれが何をしなければならないかを指示し、また、われわれが何をするであろうかを決定するのは、ただ苦痛と快楽だけである。」(ベンサム『道徳及び立法の諸原理序説』一七八九)

僕も人間のあらゆる活動の根本は、これだと思います。
ちなみに、アダム・スミスは、個人の行動を規制する原理として、「同感」を重視した。

立法者が採るべき善悪の判断基準は、諸個人の幸福を足し合わせた社会全体の幸福を最大にするという原理、すなわち、最大多数の最大幸福原理であるとした。これがベンサム功利主義である。

善悪の判断は、この点においてなされるべきである。つまり、最大多数派でない人は、立法のにおける善悪のもと庇護されないということになりますが、現実生活とは、また別のものとして考えなければならないのかもしれないですね。

ベンサムは、選挙制度改革にも熱心であった。最大多数の最大幸福を実現する法律をだれがどのように制定するのがよいか。ベンサムとって答えは明瞭であった。それは、合理的判断ができる個人の意思表示を平等に扱い、足し合わせることによってである。かくして、ベンサムは、一人一票の原則に基づく普通選挙の実施を提唱した。

ベンサムは最大多数の最大幸福原理を支える、より具体的な原理として、「生存」「安全」「豊富」「平等」を立てた。これらの原理の中で、政府が監視を払うべき最も重要な原理は、「安全」、とくに「財産権の安全」が保障されれば、通常の場合、政府の介入がなくても、諸個人は「生存」と「豊富」を見たすように行動するだろう。

格差の問題が採り立たされていますが、さておき、現代の日本は、かなり恵まれた環境だと言えそうですね。