『「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法』 茂木健一郎 講談社文庫

赤毛のアン」は、人生においてもっとも重要なことが書かれている本だ、と思っていたので購入してみました。
そういう言い方でいいのかな?という部分もありましたが、共感できる内容がとても多かったです。

明らかに何かが、日本とは決定的に違う。社会が成り立っているところの原理そのものが。あえて言葉にするなら「way of life(生活の流儀)」ともいうべき何か。彼らは日々の生活をとても大事にしています。経済的に十分豊かな国を創りあげながらも、一方では人間としての生活の楽しみやゆとりも当然のものとして享受している。広大な土地という空間的な広がりと同様に、人間の精神的な広がりも彼らの社会にはある。日々満員電車で通勤してアクセク働き、家族との団らんや休暇も容易には取れない日本社会とは、すべてが違う。人と少しでも違う行動や思考を持つと、周囲の「社会」から抑圧を受けかねない日本。ありとあらゆる面において、どう考えても彼らの西洋の社会のほうが優っている。そう確信してしまったのでした。(P39)

率直すぎる書き方とも思いますが、率直に言うとこういうことだと思います。
海外での生活を通じて感じるのは、日本の精神衛生環境問題です。

つまり、文学の「起源問題」を考えてみたとき、そこにはおそらく「現実のやり切れなさ」が存在していると思うのです。どうしてこの世に自分は生きているのかという問題から始まり、その自分が生まれる前の世界はどうやって作られたのか、あるいは国家はどのように成立したのか、はたまた、人は死んだらどこに行くのか。すべてわからないことばかり。それら「現実世界のやりきれなさ」をなんとかなだめるために生まれてきたのが、文学のもともとの起源だと思うのです。(P65)

幸福とは、個人の主観の問題です。たとえば、たくさんの子供に囲まれて幸せだと感じるか、それとも厄介だと感じるか。これは、 まさに主観の問題です。(中略)幸せであることと、自分が人をどのような基準で評価するかという問題は、大いに関係あることです。では、幸福になるための人への評価基準とはどのようなものでしょうか。(中略)つまり、人を手段として使うのではなく、その人自体を目的とするということです。(中略)これは、幸福になるための大事なテーマです。これを、仕事にあてはめても同じことが言えるのではないでしょうか。仕事を、生活費を稼ぐための手段として仕方なくやっているんだと思っているうちは自分自身もつらい。けれども、仕事をすることそのものを目的とすると、それ自体が喜びの泉となる。言い換えるならば、働くことの中にどんな小さなことでもいいから喜びを発見し、働くこと自体を楽しむことができれば、その人の人生は幸福なものとなっていくのではないでしょうか。(P102,P103)

今年、社会人2年目ですが、休養不足とストレスでひどく体調を崩しました。アフリカへの派遣試験にも合格したように、健康には人一倍自信を持っていたので、日本で仕事をしていけるのかという不安と、日本社会への疑問を抱き続けた1年でした。帰国後の2年間は、アフリカで培った温かいものをどんどん失っていくという喪失感ばかりが募り、日本や周りの人のせいにばかりしていました。この抜粋した部分を読んだとき、休みが少なすぎるという物理的な問題も実際にあったにせよ、働くことに喜びを見出そうという意識もほとんどなかった自分に気付きました。働けない障害者のほうが、楽なのではないかとさえ考えました。仕事を始めたころは、小さな喜びを毎日発見できていたのに、そういうことができなくなってしまったことが、一番の問題だとは気付いていたのですが、それをどういう意識で解決していけばいいのかわかりませんでした。それがここに書いてありました。茂木さんありがとうございます。アンはやっぱりすばらしいですね。


「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫)

「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫)