『カラマーゾフの兄弟(上)』 ドストエフスキー 新潮文庫 3

仮に俺が人生を信じないで、愛する女性にも幻滅し、世の中の秩序に幻滅し、それどころか、すべては無秩序な呪わしい、おそらくは悪魔的なカオスなのだと確信して、たとえ人間的な幻滅のあらゆる恐ろしさに打ちのめされたとしても、それでもやはり生きていきたいし、…(中略)三十までは、どんな幻滅にも、人生に対するどんな嫌悪にも、俺の若さが打ち克つだろうよ。おれは自分に何度も問いかけてみた。おれの内部のこの狂おしい、不謹慎とさえいえるかもしれぬような人生への渇望を打ち負かすほどの絶望がはたしてこの世界にあるだろうか。そしてどうやらそんなものはないらしいと結論したのさ。
(中略)こいつは、ある意味でカラマーゾフ的な一面なんだよ。それは確かだ。この人生への渇望ってやつはな。誰が何と言おうと、そいつはお前の内部にも必ず巣食っているに違いないんだ。しかし、なぜそれが卑しいものなんだい?このわれわれの惑星の上には、求心力はまだまだ恐ろしくあるたくさんあるんだものな、アリョーシャ。生きていたいよ、だからおれは論理に反してでも生きているのさ。たとえこの世の秩序を信じないにせよ、俺にとっちゃ、≪春先に萌え出る粘っこい若葉≫が貴重なんだ。青い空が貴重なんだよ。そうなんだ、ときに、どこがいいのか分からずに好きになってしまう、そんな相手が大切なんだよ。(P576,P577)

この『カラマーゾフの兄弟』を読み始めた理由は、東大の教授がもっとも新入生に読ませたい本、に選ばれていたからです。この引用部分は、私が高校生に読んでほしいと思った部分で、個人的にも好きなので記録しておきます。


カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)