『タイタンの妖女』 カート・ヴォネガット・ジュニア ハヤカワ文庫

もし、きみのパパが、地球の今までの誰よりも利口で、どんなことでも知っていて、なんにでも正しいことが言えて、その上自分が正しいことをちゃんと証明できる人だったとしよう。つぎに、ここから百万光年向こうの、ある素敵な世界にも一人の子供がいて、その子のパパは、その遠い素敵な世界の今までの誰よりも利口な人だったとしよう。その人は君のパパと同じぐらい利口で、同じぐらい正しいんだ。どっちのパパも利口で、同じくらい正しいんだ。どっちのパパも正しいのさ。だが、もしかしてこの二人が出くわしたら、きっと大変な議論になるだろう。なぜって、ふたりはどんなことにも考えが分かれるからだ。(中略)
どっちのパパも正しいくせに、それでも大変な議論になるのは、いく通りもの正しさがあるからだ。

長い引用ですが、この文に魅かれるのは、私が、自分が正しいと思うことと周りが正しいと考えていることが異なるということにストレスを感じているからだと思います。そのことで、周囲が私のこと正しいと認めてくれないことを不満に思っていることと、周囲が正しいと考えていることが実は正しくないと私が考えていることに気付きます。自分が正しいということを示したいという欲求よりも、相手も正しいのではないかと考えることの方が大切だということを思い出させてくれます。