『フラニーとゾーイー』 J.D.サリンジャー 新潮文庫 4

信仰生活でたった一つ大事なのは『離れていること』だということが飲み込めなくては、一インチたりとも動くことができないんじゃないか。『離れていること』だよ、きみ、『離れていること』だけなんだ。欲望を断つこと。『一切の渇望からの離脱』だよ。本当のことを言うと、そもそも俳優というものを作るのは、この欲求ということだろう。どうして君はすでに自分で知ってることを僕の口から言わせるんだい?きみは人生のどこかのでー何かの化身を通じて、と言ってもいいよー単なる俳優というだけでなく、すぐれた俳優になりたいという熱望をもった。(P226)

本当にきみが知りたいとうのなら言うけれど、ぼくの考えでは、この世の汚さの半分までは、本当のエゴを発揮しない人たちによって生み出されているんだ。(P191)

つまり、きみは、彼らが象徴してるものを軽蔑するだけじゃない。彼らそのものまでを軽蔑するんだ。それでは人身攻撃に過ぎるよフラニー。本当だよ。(P186)

夢に向かって生きることを選ぶということは、自分の欲求を解放する生き方を選ぶこと。世の中では、個人個人がさまざまな欲求を持っているため、みんなが夢を追う上で摩擦が起きることは仕方ない。そして、誰かの夢を邪魔はしないと意識している人も、結局はそのことで世の中の汚さを生みだしている。摩擦は必然で、欲求の違いからその人自身を否定してしまうことはしてはいけない。
いまいちまとまらないですが、摩擦が避けられないのであれば、主体的に周りの人たちを肯定的にとらえなければ解決にならないということなのでしょうか。



フラニーとゾーイー (新潮文庫)

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